【毒親育ちの罪悪感が消えない3つの原因と対策】子供の権利と親の義務(責任)を理解し、自分は悪くなかったと認める。

毒親

毒親育ち(アダルトチルドレン)は子どもの頃から何も悪くなくても毒親に罪をなすりつけられ、何でも自分のせいにされ、怒られたり、責められたり、罰を与えられたりしてきたので、いくら毒親のことを理解し、自分は悪くなかったと頭の中では思っても長年、毒親から植え付けられてきた罪悪感というのは、そう簡単に消えるものではありません。

さらに、その罪悪感が消えない原因として世の中の風潮というものがあります。

毒親育ち(アダルトチルドレン)は罪悪感が強いのに加え、自信のなさや不安感から世の中の風潮に影響され、自分の見解を疑い、自分の親を毒親だと認めることや親のことを悪く言ったりすることに、抵抗を示してしまう人がいるというのも現実です。

そこで毒親育ち(アダルトチルドレン)を苦しめる世の中の風潮がいかに間違っているものなのかを理解し、自分は悪くなかったと認められるようになってもらうために、罪悪感が消えない原因と対策について解説していきたいと思います。

罪悪感が消えない3つの原因と対策

罪悪感が消えない原因と対策1:子供の権利と親の基本的な義務(責任)を理解し、自分は悪くなかったと認める。>

昔ほどではないですが、どんな親であろうと親は敬うべき、親のことは悪く言ってはいけないという風潮があり、親のことを悪く言う人は好意的に見られないところがあります。

また毒親のことについて知人や友人に話をした時に「親が産んでくれたおかげで今の自分が存在するんだから感謝した方がいい。」や「経済的に不自由なく、ここまで育ててもらったんだから感謝した方がいい。」なんてことを言われたことはありませんか?

私にも経験がありますが、世の中には、こういうことを言う人は結構いて毒親育ち(アダルトチルドレン)は、そのたびに、その言葉に苦しめられることになります。

さらに親自身からも「産んでくれたことに感謝しろ。」や「育ててくれたことに感謝しろ。」という強要があり、子どもの頃から何でも自分のせいにされてきたのもあって、何でも自分が悪いと思ってしまったり、自信のなさから親のせいであるにも関わらず、親のことを毒親扱いすること自体に抵抗を感じたり、産んでくれたことに感謝できない自分が悪いんだ、育ててくれたことに感謝できない自分が悪いんだと、自分のせいにしたりして自分を責めてしまっている人も少なくありません。

実際に私も、そういう感情と戦ってきたのでわかりますが、1つ言えるのは間違っているのは毒親の方であり、産んでくれたことに感謝すべき、育ててくれたことに感謝すべきという人達の方であると断言できます。

なぜそうであると断言できるのかというと、これらの人達は子どもの権利と親の基本的な義務(責任)を理解していない人達であると言えるからです。

「親が産んでくれたおかげで今の自分が存在するんだから感謝した方がいい。」や「経済的に不自由なく、ここまで育ててもらったんだから感謝した方がいい。」などと言う人の多くが、子どもに衣食住を与え、経済的に不自由なく育てれば親の基本的な義務(責任)を果たしていると思っているのです。

しかし、親の基本的な義務(責任)というのは子どもに衣食住を与え、経済的に不自由なく育てさえすれば果たされるというものではありません。

親は子どもに愛情や安心感を与え、子どもの心を支えなくてはなりません。

実は、この子どもを精神面で支えるという義務(責任)をないがしろにしている人というのは少なくないのです。

よく考えてみて下さい。

例えば、夫婦間で経済的に不自由のない生活をさせているからと言って暴力(言葉の暴力を含む)を振るってもいいということになるでしょうか?

配偶者(夫、妻)から暴力(言葉の暴力を含む)を振るわれている人に対して「経済的に不自由なく生活させてもらっているんだから感謝した方がいい。」なんてこと言いますでしょうか?

普通は言いませんよね?

そんなことを言う人がいたら世の中的にも、かなりおかしな人物であると思われると思います。

ところが、これが親子間であれば容認されるなんてことはないのです。

このような人は子どもは親の所有物であり、親の言うことには従わなければならないと思っているところがあり、子どもの存在を軽んじていると言わざるを得ません。

「子どもの権利条約」によると、子どもの権利とは次のように規定されています。

・生命、生存及び発達に対する権利(命を守られ成長できること)

すべての子どもの命が守られ、もって生まれた能力を十分に伸ばして成長できるよう、医療、教育、生活への支援などを受けることが保障されます。

・子どもの最善の利益(子どもにとって最もよいこと)

子どもに関することが行われる時は、「その子どもにとって最もよいこと」を第一に考えます。

・子どもの意見の尊重(意見を表明し参加できること)

子どもは自分に関係のある事柄について自由に意見を表すことができ、おとなはその意見を子どもの発達に応じて十分に考慮します。

・差別の禁止(差別のないこと)

すべての子どもは、子ども自身や親の人種、性別、意見、障がい、経済状況などどんな理由でも差別されず、条約の定めるすべての権利が保障されます。

引用:https://www.unicef.or.jp/about_unicef/about_rig.html

毒親は何でも子どもに罪をなすりつけ、子どものせいにし、自分のストレスをぶちまけるはけ口として子どもを利用しています。

この時点で子どもの最善の利益を考えていないばかりか、子どもの意見も尊重しない、子どもの話にすら耳を傾けようともしない「毒親は子どもの権利を守らない=親の基本的な義務(責任)すら果たしていない人物」であると言えます。

子どもの頃から何でも自分のせいにされてきたことで、何でも自分が悪いと思ってしまったり、自信のなさや不安感から親のせいであるにも関わらず、親のことを毒親扱いすること自体に抵抗を感じたり、産んでくれたことに感謝できない自分が悪いんだ、育ててくれたことに感謝できない自分が悪いんだと、自分のせいにしたりして自分を責めてしまっている人は悪いのは親の基本的な義務(責任)すら果たさない毒親の方であり、子ども時代の自分には何の罪もなく、自分は何も悪くなかったということを認め、自分で自分を責めることをやめましょう。

罪悪感が消えない原因と対策2:過去の親子関係において理不尽に自分が負わされてきた責任を親に正しく負わせ、自分は悪くなかったと認める。

毒親のことについて医療機関の医師やカウンセラーに話をした時に「今更、過去のことを蒸し返してもしょうがない。」や「過去のことをいつまでも考えて過去に執着するより、これからの未来のことを考えた方がいい。」なんてことを言われたことはありませんか?

私にも経験がありますが、世の中には、こういうことを言う専門家は結構いて毒親育ち(アダルトチルドレン)は、そのたびに、その言葉に苦しめられることになります。

親子の間での対人関係というのは全ての対人関係の基本(ベース)を作るので、過去の親子関係(対人関係)が現在のあらゆる人との対人関係に悪い影響を与えているわけです。

ですから、過去のことを蒸し返すのは現在のあらゆる人との対人関係を改善するのに、非常に重要なことであり、過去の親子関係(対人関係)を見直さない限りは毒親から受けた悪影響を克服し、子ども時代のトラウマを乗り越え、自分の人生を取り戻すことなどできません。

だから、過去のことを蒸し返し、子ども時代に親が負うべきはずだった責任は負うべき人に負わせなければならないのです。

そんなことを言うと「何でも親のせいにしてはいけない。」という声も聞こえてきますが、確かに自分に原因があることを何でも他人のせいにしてはいけませんが、毒親育ち(アダルトチルドレン)は自分に原因がないことでも親から何でも自分のせいにされて生きてきたので、いまだに親との関係においても、あらゆる対人関係においても、何かあれば親との関係で植え付けられた罪悪感が自動的に作動し、何でも自分が悪いと感じて自分の責任でもないことを自分の責任にして、自分を責めて苦しんでいる状態なので、子ども時代に親が負うべきはずだった責任をきちんと親に負わせることで、自分と親の責任を正しく切り分け、自分は何も悪くないと罪悪感に支配されることなく、健全な対人関係を築くことができるようになるのです。

また子ども時代に親が負うべきはずだった責任をきちんと親に負わせないままでいると、罪悪感を抱き続け、自分を責め続けることをやめることができません。

中には親には悪意がなかったと思えるようなこともあるでしょうが、悪意があったか、なかったかというのは関係ありません。

子ども時代に親が負うべきはずだった責任を思い出して書き出し、自分と親の責任を正しく切り分け、自分が負わされてきた責任を正しく親に負わせることで、自分が背負わされてきた責任から自分を解放し、子ども時代の自分には何の罪もなく、自分は何も悪くなかったということを認め、自分で自分を責めることをやめましょう。

罪悪感が消えない原因と対策3:言葉の暴力を軽んじるのをやめ、自分は悪くなかったと認める。

世の中の風潮として、子どもに暴力を振るうのはいけないことだという認識は一般的ではあるものの、言葉による暴力については、実際に振るわれる肉体的な暴力よりも軽んじられている傾向にあります。

毒親育ち(アダルトチルドレン)の中にも言葉による暴力を受けながら、あれはしつけだから仕方がなかった、自分が悪かったんだから仕方がなかったんだという認識の人がいるのも現実です。

しかしながら、言葉による暴力は肉体的な暴力と同じか、時には、それ以上に人を傷つける力を持っています。

そして、子どもが言葉による暴力を受けた場合は自分は価値がある人間だと感じることができず、自信ある大人へと成長することが困難となり、子どもの成長において多大なる悪影響を及ぼすことになってしまうのです。

「子どもの権利条約」によると、子どもに対する精神的虐待とは次のように規定されています。

-言葉による暴力(大声で怒鳴りつけたり、心を傷つけるようなことを言う。)

-加虐的(サディスティック)な態度と、子供を過小評価する態度(乱暴な態度をとったり、自分は駄目な人間だと子供に思わせる)。

-愛情の拒否(子供を愛さない)。

-子供の年齢から考えて不釣りあいな要求、あるいは過大な要求(まだ小さいのに無理なことをさせようとする)。

-教育における矛盾した、あるいは不可能な指示や命令(矛盾したことを教えたり、できないことを命令したりする)。

引用:モラル・ハラスメント―人を傷つけずにはいられない

この他にも一見、言葉の暴力とはわかりにくいものとして冗談を装って子どもの人格、能力、容姿などの皮肉や嫌味を言ったり、からかったりすることで隠蔽された言葉の暴力を振るうというケースもあります。

子どもというのは言われた言葉をそのまま受け取るので、心に大きな傷が刻まれることになってしまうのですが、このようなケースでは、言葉による暴力としてすら認識されていないということもあります。

言葉による暴力であろうが、肉体的な暴力であろうが、子どもの心を傷つけ、その後の人生に多大なる悪影響を与えることに変わりはありません。

ですから、自分が受けてきた言葉による暴力を軽んじることなく、自分は親から酷いことをされてきたのだと認識し、しつけだろうが何だろうが、どんな理由があるにせよ、悪いのは言葉による暴力を振るってきた毒親の方であり、子ども時代の自分には何の罪もなく、自分は何も悪くなかったということを認め、自分で自分を責めることをやめましょう。

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